ヴェルディ (1813~1901 イタリア)歌劇王 イタリア第二の国歌をつくった

Giuseppe Fortunino Francesco Verdiジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ

生誕 1813年10月10日

パルマ公国 レ・ロンコーレ

死没 1901年1月27日 (87歳)

イタリア王国  ミラノ

 

webandi / Pixabay

 

父カルロ・ジュゼッペ・ヴェルディと母ルイジア・ウッティーニの間に待望の跡継ぎが

うまれました。

村の教会学校に入学します。

幼いヴェルディは 読み書き、算数 みんな1番で、とても賢い子供でした。

パイプオルガンも上手に弾きました。

両親は練習用に スピネットという チェンバロに似た楽器を買い与えました。

ヴェルディは大喜びで練習し、9歳で、村の正式なオルガン奏者になります。

10歳のヴェルディは下宿をしながら上級学校で読み書きやラテン語を教わり、

そして音楽学校でフェルディナンド・プロヴェージから音楽の基礎を学びました。

 

ヴェルディは中学でも成績優秀、オルガン奏者として働き、 下宿代まで稼ぎました。

父の知り合いの裕福な商人のバレッツィの家にも通い、

公私ともに援助を受ける一方で、彼を通じて町の音楽活動にも加わるようにました。

さらなる進歩を得ようと当時の音楽の中心地ミラノへ留学を目指した。

しかしヴェルディの年齢が 高すぎたため ミラノ院学院の試験は不合格となります。

ヴェルディはここであらためて熱心に音楽を学びます。

音楽院でソルフェージュ教師を務めるラヴィーニャは、またスカラ座で作曲や演奏も担当していた。

彼はヴェルディの才能を認め、あらゆる種類の作曲を指導し、オペラをみたり、教授につれられ貴族社会にも出入りしました。

青年貴族グループの演奏会リハーサルを見に行くと、知り合った指揮者のマッシーニの代理を行ったのです。

見事な指揮ぶりと、ピアノ演奏で大成功。 正式な指揮者として迎えられました。

イタリア最大のオペラ作曲家ヴェルディ。

ヴェルディの作品は 祖国への愛や、人々の心に響くものでした。

イタリア・オペラの名作がたくさんあります。

劇と音楽が深く一体となるような オペラを目指し、感情の表し方、歌の魅力を主役とした

作品は イタリアで国民的作曲家として人気になりました。

ヴェルディの作品はほぼオペラです。

オペラ王とも呼ばれています。

なかでもエジプトのスエズ運河開通記念としての

「アイーダ」は豪華でスケールが大きいです。

このなかの凱旋行進曲は日本のサッカーの応援歌としても有名です。

マンゾーニはヴェルディが尊敬している詩人ですが、

亡くなったことを悲しみ作られた曲が 「レクイエム」です。

 

 

主な作品

歌劇 リゴレット (1851年)

歌劇 椿姫 (1853年)

歌劇 アイーダ (1871年)

歌劇 オテロ (1886年)

 

 

 

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