宝石のような瞬間を音楽と子育てと共に

ベートーベン (1770~1827 ドイツ)耳の病気に苦しみながら…

2020/07/16
 
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Ludwig van Beethoven ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ValdasMiskinis / Pixabay

生誕  1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国  ボン

 

死没  1827年3月26日 (56歳没)

オーストリア帝国  ウィーン

古典派音楽

 

ドイツのボンに ベートーヴェンは

父ヨハンと、母マリア・マグダレーナ宮廷楽団歌手の子として生まれました。

幼少のころから父親にピアノの手ほどきを受け、7歳で演奏会でピアノ協奏曲を演奏
10歳のころネーフェから教わる。

才能を絶賛したネーフェは、バッハの作品を教えます。

 

ベートーヴェンはハイドンモーツァルトらが築いた 古典派音楽を発展させました。

 

そして ロマン派音楽へと新しい様式を生み出しました。

20代後半ごろより持病の難聴が徐々に悪くなり、

28歳のころには最高度難聴者となってしまいました。

病気で耳が不自由だったベートーヴェンは音が聞こえない苦しみと絶望感から自殺を決意します。

 

1802年「ハイリゲンシュタットの遺書」と言われる手紙を書きます。

しかし音楽への強い想いを持ってこの困難を乗り越え、自分の理想を目指し、曲作りに専念しました。

 

ベートーベン音楽の特質 ドイツ的な音楽とオーストリア的音楽が混在しています。

 

 

 

聴覚障害について

難聴(40歳ごろには全聾[要出典]となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症
伝音性の難聴であり、中耳耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、
音が聞こえなくなる病気。現代では手術で改善される。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、
ベートーヴェンが人の声はまったく聞こえていなかったにもかかわらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、
「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声はまったく聞こえなくなるが、
ピアノの高音部の振動はわずかに感じ取ることができる性質にあると考えられる。
また、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックでつなぐことで、
ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる(高度難聴以上は感音性難聴であり、骨導音の利用は無意味であるため)。
医学的分析としては、これらの症状から導出された仮想オージオグラムと、実際の耳硬化症およびページェット病の顕微鏡写真との比較などから、
耳科医の多数意見は耳硬化症であるとの論文[12]があり、有力説となっている。
なお、耳硬化症だとすると、伝音性難聴であり高度難聴や全聾になることは稀であり、
現代の医学分類ではせいぜい中度難聴であると考えられる。                                        

 

代表作

ピアノソナタ第14番「月光」 (1801年)

エリーゼのために (1810年)

 

交響曲

第1番 ハ長調 op.21          

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55

第4番 変ロ長調 op.60         

第5番 ハ短調 (運命) op.67

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68  (1808年)       

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 喜びの歌  (1824年)

 

 

 

 

 

 

 

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