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ハイドン (1732~1809 オーストリア)交響曲の父

2020/07/16
 
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Franz Joseph Haydnフランツ・ヨーゼフ・ハイドン

 

1732331日~1809531日(満77歳没)

出身地 神聖ローマ帝国 下オーストリア大公国 ローラウ

死没 オーストリア帝国 ウィーン

古典派音楽

活動期間1740年~1809

Hans / Pixabay

ハイドンは  古典音楽の父、交響曲の父 と言われています。

叔父 マティアス・フランクが学校の校長先生で、幼いハイドンの才能に気づき、

音楽の基礎、文字の読み書き、様々なことを教えていきました。

モーツァルトの故郷ザルツブルクの大司教ジギスムントの宮廷楽団に首席奏者として入り、
交響曲やオペラ、教会音楽を手がけました。

約 360曲に上る教会音楽を書き,多くの業績を残し、
またベートーベンを弟子として育てました。
ロンドンでの演奏会が、大成功し、 ロンドンの演奏会で発表された
交響曲第九十三番から第百四番は ロンドン交響曲と言われます。
天地創造
テレジア・ミサ
ロプコヴィッッ四重奏曲集など
弦楽四重奏曲第七十七番 第二楽章は ドイツの国歌

オーストリア・シリング紙幣において、肖像として採用

ハイドンの作品はほぼ全てのジャンル(オペラから民謡の編曲に至るまで)を網羅しており、膨大な作品の総数はおよそ1000曲に及ぶとされる。ただし未完・断片のみの作品、紛失した作品や偽作も含まれるが、それらを除いても700曲(ないしそれ以上)近いもので、弟のミヒャエルと肩を並べるほどの総数である(ミヒャエルも700曲以上作曲している)。

ハイドンの名声が高かったため、別人の曲をしばしばハイドンの名で出版することがあった。かつてハイドンの作といわれた『おもちゃの交響曲』、弦楽四重奏曲集作品3(「ハイドンのセレナーデ」の名を持つ曲を含む)、『聖アントニウスのコラール』(『ハイドンの主題による変奏曲』に用いられた主題で知られる)などはいずれもハイドンの作品ではない。

ハイドンの自筆原稿は残っていないことが多く、信頼できる資料は少ない。信頼できる作品目録としてはまずエントヴルフ・カタログ(EK、草稿目録)があり、1760年代はじめ(ただし最初の方は現存せず)から1777年ごろにわたるハイドンの作品の目録になっている]。ついで1805年にヨハン・エルスラーによってまとめられたカタログ(HV、第二次世界大戦で失われたが写真複製が残る)があるが、真作でないものを含む。

ハイドンの作品を集めたものは多い。20世紀はじめにブライトコプフ社によって編纂された全集(Gesamtausgabe (GA)、1908-1933、中断)があったが、第二次世界大戦後にケルンのヨーゼフ・ハイドン研究所から編纂された全集(Joseph Haydn Werke (JHW)、1958-)の出版が進行している。

ハイドンの作品にはホーボーケン番号 (Hob.) が一般的に使われる。この番号はジャンルによって I から XXXI までに分け、その中をおおむね作曲時代順に通し番号をつけているが、現在知られる作曲順とは必ずしも一致しない。ピアノソナタではホーボーケン番号のほかにランドン版の番号も使われており、両者を混同しやすい。ほかに分野によっては作品番号 (op.) がつけられていることもある。

 

 

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