ブラームス (1833~1897 ドイツ)白髭の作曲家 ドイツ3大B

2020/07/18
 
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Johannes Brahmsヨハネス・ブラームス

 

生誕   1833年5月7日

出身地  自由ハンザ都市 ハンブルク

ドイツ連邦

死没   1897年4月3日(63歳没)

オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン

ロマン派音楽

 

最初の音楽レッスンを行った父は、小さな劇場のコントラバス奏者でした。

7歳の時からオットー・フリードリヒ・ヴィリバルト・コッセルにピアノを学び、

10歳の時に初めてステージに立ちました。大人に混じって演奏する ブラームスに

人々はビックリしました。

12歳のころから 夜の酒場でピアノを弾くようになりました。

たいていの人は酔っぱらって ピアノの音に気づきません。

きいてもらえなくても、お金を貰えなくても 弾いていれば幸せでした。

20歳のころ 1853年にハンガリーのヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニと演奏旅行さそわれ、

ハンブルクからリューネブルクに歩いて旅をしました。

ワイマールではリストにあいました。

ステージに上がるたび 酒場とはまるで違い 演奏をきいてもらます。

感激で胸がいっぱいになりました。

同じ年の秋、デュッセルドルフで宮廷コンサートマスターをしていた友人の紹介で

大作曲家のシューマンに会いました。

シューマンあなたの音楽を聞かせてくださいといわれます。

シューマンはブラームスの演奏と音楽に感銘を受け、

ブラームスもまたシューマンを強く尊敬しました。

シューマンの妻クララと知り合い、生涯に渡って親しく交流を続けることになった。

このころシューマンは精神疾患に悩まされており、1854年2月には投身自殺未遂を起こして

ボン近郊の療養施設にはいりシューマンが家に戻ることはありませんでした。

ブラームスはこれを聞くとデュッセルドルフに駆けつけ、

シューマン家の家政を手伝い一家を助けました。

 

ブラームスはバッハベートーヴェンその頭をとって

ドイツの3大B

といわれる 作曲家です。

バッハベートヴェンの音楽を学び ドイツの古典的な音楽を、

伝統的な形式を守ろうとしました。

古典形式にロマン派を加えた作品は、 格調高くできています。

 

ウィーン移住からおよそ10年後の1876年に、19年の歳月をかけた『交響曲第1番』を完成させました。

この作品は完成度の高さから「ベートーヴェンの10番目の交響曲のようだ」といわれています。

またシューベルトシューマンを受け継ぐような 歌曲も多いです。

五つの歌曲  子守歌 などがあります。

メレーニから 教わった ハンガリー民族音楽

ピアノの連弾曲集 ハンガリー舞曲 二十一曲  の第五番が有名です。

 

 

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