宝石のような瞬間を音楽と子育てと共に

シューマン (1810~1856 ドイツ)ピアニストを諦め作曲家に

2020/06/29
 
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Robert Alexander Schumannロベルト・アレクサンダー・シューマン

ArtsyBee / Pixabay

 

生誕 1810年6月8日

ザクセン国王 ツヴィッカウ

 

死没 1856年7月29日(46歳)

プロイセン王国 エンデニヒ

 

ロマン派

 

自然にあふれた、ドイツのツヴィッカウにシューマンがうまれました。

シューマンの母ヨハンナも、ピアノで軽い旋律を弾いたりしていました。

母がシューマンの音楽の才能に気づき、ピアノと作曲を学ばせました。

口数が少なく、一人で物思いにふけてり、空想が好きな少年でした。

7歳ごろからほとんど自己流でピアノを弾いたり、小さな舞曲風の曲を書いていました。
16歳のとき父が亡くなり、遺言書に、「音楽が無関係の大学に進むように」とかかれていました。
ピアニストになりたいと言う夢を胸にしまい込み
法律を学ぶため優秀な成績でライプツィヒ大学の法科へと進学します。
ところが、そこは 音楽にあふれていました。
教会の合唱団は バッハが指導をしていた由緒あるものや
ケヴァントハウスなどがありました。
大学生活後半はハイデルベルク大学の法科に転学しました。
20歳のころに

ピアノ教師のフリードリヒ・ヴィークに出会いました。

ヴィークのピアノ指導は厳格な上に過酷ですが、シューマンは母親に手紙を書いて許可をもらい

練習を行うが 無理なやり方で 指に力がはいらなくなりました。

指を痛めてしまった彼はピアニストの道をあきらめ、創作へと専念してゆくことになります。
独創的すぎるシューマンの曲は なかなか人々に受け入れてもらえませんでした。
しかしのちに 音楽雑誌や評論家としても活動しました。
歌曲とピアノ曲、多くの曲をのこしています。
1834年はシューマンにとって一大飛躍の年となる。44年までの10年間、自ら単独主筆となる『音楽新時報』を創刊して、当時の音楽ジャーナリズムに新風を注ぎ込むかたわら、創作面での『交響的練習曲』と『謝肉祭』の完成がピアノ音楽史上に一線を画する新様式の作品として、新たな時代の出発点となるのである。こうして創作と評論活動が軌道に乗り始める1835年ころから、いまや天才少女ピアニストとしての名声をすっかり確立した16歳になる師の娘クララに恋愛感情を抱くようになるが、ウィークは2人の恋愛を厳しく禁じた。こうした試練のなかでシューマンは36年から38年の間に、最高傑作と評されるピアノ曲のほとんどを生み出している。『幻想小曲集』『子供の情景』『クライスレリアーナ』などがこの期の作品である。
1840年 クララと結婚しました。歌曲のほとんどが、この年につくられました。
ピアノ曲集子供の情景 第七曲  トロイメライ (1838年)
歌曲集 詩人の恋 (1840年)

 

 

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